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ここでは易学=易経(周易)に基づく占いの成り立ちについて、初心者向けに解説しています。易の起源は中国の有史以前、まだ文字がなかった時代だと言われています。
○ プロローグ T 易の基本 陰と陽 U 易の周辺 五行〜儒教 V 八卦と呼ばれる抽象芸術 その1 W 八卦と呼ばれる抽象芸術 その2 X 易の主役 六十四卦 Y 六十四卦と日本文化 Z 六十四卦の序次=序卦伝・上篇 [ 六十四卦の序次=序卦伝・下篇 \ 男尊女卑と女尊男卑 ] 占い方 Y 六十四卦と日本文化 プロローグでも少し触れたように、日本の伝統文化は易と深く繋がっている。 一陽来復と十二消長卦易は六十四卦の中から、見た目の形がそれに相応しい12の卦を選んで、旧暦(太陰暦)の1年12ヶ月に配し、これを十二消長卦と呼ぶ。 旧暦では冬至を迎える月を11月とするのだが、冬至を過ぎると再び日が長くなる様子を、陰の記号ばかりの最下に、陽の記号が一本復活したかのように見える
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易者の看板地天泰ところで、易者はよく地天泰[天下安泰万物生成]という卦の形を看板に描いたりしているのだが、これは、この卦が儒教の最も重要な事柄を表現しているからなのである。 当然だが、天は上にあり、地は下にある。 人と人とがコミュニケーションするためには、互いに相手の気持ちを思いやることが大切で、勝手に自己主張し合ってばかりいれば、その両者間が険悪になるのは目に見えている。当たり前のことだが、つい忘れて人は自己主張に突っ走り、人間関係をギクシャクさせてしまう。これは天地否が自然な形で、地天泰は上下が逆転した不自然な形だからなのであって、丁度ドレッシングをいくら混ぜても、いつしか油と酢は分離してしまうように、不自然な形を放っておけば、いつしか元の自然な形に戻ってしまい、人間は利己主義で思いやりの気持ちに薄いのが自然だからである。 |
地天泰と正月遊び さて、その地天泰は、十二消長で言えば、旧暦正月の卦である。 戦国時代にやって来たキリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルは、日本人は我々よりも遥かに思いやりを大切に生活している、この人たちを信者にすれば、模範的な信者になる、といった趣旨の日記を残したようだが、それこそ当時の人々がこの地天泰の意義を、何よりも大切に暮らしていた結果だろう。 ともあれ、最近の子供達は、勝つことだけがすべてのテレビゲームに明け暮れているようだが、果たして昔とどちらが幸せなのだろうか。 卦の形を図形的に捉えると・・・ このような六十四卦だが、陰陽の記号は見るからに無機質で可愛げに欠ける。 なお、離は「付着する」という意味だと言うと、訝しく思われるかもしれないが、この離の字は、もともとは「付着する」という意味で使われていたのが、時代とともにいつしかまったく逆の「はなれる」という意味になってしまったのである。 とにかく、古代中国では易の卦から魚などを獲る網が発明されたわけだが、この他にも |
神社の鳥居と風地観 日本で易の卦をもとにデザインが考案されたものの代表と言えば、鳥居である。 と言うと、神道は日本古来の伝統に根差した宗教であって、そんな中国の影響は受けていないと反論する人々もいるようだが、そういった言葉は、かつての日本人のバックボーンだった四書五経を無視している。 毎年秋には ともかくそんな神道だから、神域と俗世間の境界を明らかにするために建てる鳥居の重要性を考えた時、そのデザインを当時の最高の学問だった易に委ねるのは、当然のことである。 また、日本神道の根源とは何なのか?といったことについては古事記と易学のページをご覧ください。 六十四卦と日本文化との関係は、取り敢えずこのくらいにして、次に六十四卦の序次について、触れておきたい。 |
最終更新日:令和02年10月31日 学易有丘会
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