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漢文として楽しむ論語 公冶長第五 4/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 21(113) 子在陳曰…
○ 【書き下し】子陳に在して曰く、帰んなん帰んなん、我が党の小子の狂簡にして、斐然として章を成せるが、以って之を裁せん所を知らず、 【訳】先生が陳に在るときに仰った。帰ろう帰ろう。倭が故郷の門人たちは、志は大きいがまだ実務経験に乏しく具体性が伴わない。言うなれば綺麗に織り上げられた布だが、まだ裁断して衣服に作りあげる方法がわからないようなものだ。 【解説】孔子は四方を巡ったが、用いる君がなく、その道は行われなかった。よって陳より魯に帰ろうとして、その嘆きを述べた。吾党は、わが魯の郷党、小子は門人を指す。狂簡は、志は大きいが具体性が伴わなず、ぞんざいなこと。斐然は、 22(114) 子曰伯夷叔齊…
○ 【書き下し】子の曰く、伯夷叔斉、旧悪を念わず、怨み是を用って希し、 【訳】先生が仰った。伯夷と叔斉の二人は、誰かを恨んで根に持つことがなかったので、怨まれることもとても稀だった。 【解説】伯夷と叔斉は周初のとても潔い人物。 23(115) 子曰孰謂微生高直…
○ 【書き下し】子の曰く、孰か謂う微生高直なりと、或る人酢を乞う、其の隣に乞いて之に与う、 【訳】先生が仰った。誰かが微生高は正直な人だと謂っていたが、ある人が酢が欲しいと来たとき、丁度なかったので、隣から貰って来て、その人に与えた。 【解説】微生は姓、高は名、魯人である。直は正直な人、まっすぐな人。本当に正直なら、なければないと言うべき。隣から貰って来て、恰も自分のであるかのように与えるのは、正直とは言えない。 24(116) 子曰巧言令色足恭…
○ 【書き下し】子の曰く、言を巧くし色を巧くし恭を足すこと、左丘明之を恥ず、丘も亦之を恥ず、 【訳】先生が仰った。言葉巧みで愛想をよくし、さらに恭しさを足すのは、やり過ぎだ。したがって左丘明はこれを恥じとする、私、丘もまたこれを恥じとする。 【解説】巧言令色は学而第一3にもある言葉。左丘明は古の世に聞こえた人。春秋左氏伝の作者とは別人とされている。丘は孔子の名。孔子は自分が心に恥じることを、古人に比して述べたのは、謙遜の意である。易の巽為風九三の爻辞が言わんとするのは、まさにこのようなことであって、孔子はその象伝で、君子たる志が窮しているからだと指摘している。 【書き下し】怨みを匿して其の人を友とすること、左丘明之を恥ず、丘も亦之を恥ず、 【訳】その人に怨みがあるのに隠して友として親しみ交わることは、左丘明はこれを恥とする。私、丘もまたこれを恥じとする。 【解説】怨みを匿して付き合うのは、要するに自分にとってそれが利益になるからで、私利私欲のためのことである。道を志す者として、私利私欲で判断して行動するのは最も恥ずべきことである。 25(117) 顔淵季路侍…
○ 【書き下し】顏淵季路侍り、子の曰く、盍ぞ各おの爾の志を言わざる、 【訳】ある時、弟子の顔淵と子路が先生のそばに侍って立っていた。先生が仰った。なんで二人はそれぞれその志すところを言わないのか。 【解説】季路は子路のこと。末っ子なので季路とも呼ばれた。季には末という意もあり、例えば季節を三分割し、その季節の末の月を季と呼ぶ。礼記月令篇には、旧暦一月は孟春、二月は仲春、三月は季春、四月は孟夏、五月は仲夏、六月は季夏、七月は孟秋、八月は仲秋、九月は季秋、十月は孟冬、十一月は仲冬、十二月は季冬とある。盍は疑問・反語の助字で、なんぞ〜〜ざる、と読む。 【書き下し】子路の曰く、願わくば車馬輕裘を衣ること、朋友と共にし、これを敝るとも憾むことなけん、 【訳】子路が言った。私に車と馬と軽裘があれば、朋友と共にこれを用いて、仮に損ない破り果てても、心に怨むことがないようにしたい。 【解説】願わくばとは、師に対して謙っての言葉。車と馬は当時の世の中にとってとても重要なものだった。軽裘は軽い皮ごろも、衣服は軽い方が貴いとされている。 【書き下し】顔淵の曰く、願わくば善に伐ること無く、労を施いにすること無けん、子路の曰く、願わくば子の志を聞かなん、 【訳】顔淵が言った。自分が善をしたからと云ってそれを誇ること無く、自分の功労を自慢することが無いようにしたい。子路が言った。願わくば先生の志もお聞きしたいところです。 【解説】一説に施労は労役を施すことと読み、労役は自分が施してほしくないことだから、自分がしてほしくないことは人にもしない、という意だとも解釈される。子路は顔淵の志す所が自分より大きな視点だったので、それならと、孔子の志す所が気になった。 【書き下し】子の曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん、 【訳】先生が仰った。老人とは心穏やかに接し、朋友とは信頼信用を第一に接し、年少者とは仲良くなることを第一とする。 【解説】これもまた人と共にすることについて述べている。一説にこの三人の志の違いは、孔子は仁を安んじ、顔淵は仁に違わないことを目指し、子路は仁を求めていることによるのだという。 26(118) 子曰已矣乎…
○ 【書き下し】子の曰く、已んなんや、吾未だ能く其の過ちを見て、内に自ら訟る者を、見ず、 【訳】先生が仰った。どうしようもない。未だに私は、自分の過ちを知り、心の中で自らを責め咎めて反省する人を見たことがない。 【解説】已矣乎は諦め、絶望の言葉。見其過とは、自ら自分の過ちを知ること。自訟とは、口には言わず、心の中で自ら責め咎めること。 27(119) 子曰十室之邑…
○ 【書き下し】子の曰く、十室之邑、必ず忠信丘の如き者有り、丘が学を好むに如かじ、 【訳】先生が仰った。わずか家が十軒ばかりの小さな村でも、必ず私と同じくらい忠信の者はいる。しかし自分のように道についての学問を好むほどではない。 【解説】十室の邑とは家十軒ばかりの小さな村のこと。忠信は教わらなくても生まれつき備わっている者も、一定の割合でいるということ。そういう資質のある人は、道を学べば聖人にも至る可能性があると、学に努め励むことを勧めているのだ。 |
最終更新日:令和05年01月28日
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