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漢文として楽しむ論語 泰伯第八 1/3トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 1(185) 子曰泰伯…
○ 【書き下し】子の曰く、泰伯は其れ至徳といいつ可からくのみ、三たび天下を以って譲る、民得て称すること無し、 【訳】先生が仰った。泰伯はその徳が至極だ。天下を譲っても、それを人々に知らせることもなかったので、誰にも称えられなかったが。 【解説】泰伯は殷末の、周の武王の曾祖父 2(186) 子曰恭而無禮則勞…
○ 【書き下し】子の曰く、恭しくて礼無きときは則ち労かわし、慎んで礼無きときは則ち葸る、勇にして礼無きときは則ち乱る、直にして礼無きときは則ち絞し、 【訳】先生が仰った。恭しくても度が過ぎると煩わしく面倒になる。慎んでも度が過ぎると怖気づいているようなものだ。勇敢であっても度が過ぎると上を犯し、物を損なう。まっ直ぐでも度が過ぎると視野が狭くなる。 【解説】労かわしとは、煩わしく面倒なこと。無礼とは、過ぎること。葸るとは、おじけずくこと。 【書き下し】君子親に篤きときは、則ち民仁を興す、故旧遺れざるときは、則ち民偸からず、 【訳】君子がその親族に恩愛を篤くすれば、下民はこれに感じて仁道を興すようになる。旧友とのよしみを忘れず、長く捨てない時は、民もまたこれに化して人情が厚くなる。 【解説】君子は上にある人を指す。故旧は朋友臣属の古きよしみある者を云う。 3(187) 曾子有疾召門弟子…
○ 【書き下し】曽子疾有り、門弟子を召んで曰く、予が足を啓け、予が手を啓け、 【訳】曽子が重い病気で死にそうな時、同門の弟子たちを呼んで言った。私の足を蔽う布を開き、手を蔽う布を啓け。 【解説】死が近いと自覚し、この時まで身体に毀傷を免れことを示すため、手足を見せようとした。孝経の身体髪膚これ父母に受く、敢えて毀傷せずは孝の始めなり、とあるように、自分の身体に傷をつけないことが親孝行の第一歩であって、それは達成したということ。 【書き下し】詩に云く、戦々兢々、深き淵に臨むが如く、薄き冰を履むが如し、今にして後に、吾免れぬということを知んぬるかな、小子、 【訳】詩の言葉に、戦々兢々として恐れ戒め慎んで身を守り、深い淵に臨んで落ちることを恐れ、薄い氷を履んで陥ることを恐れる如くだとあるが、今、死に臨む時までに、なんとかそんな危険に陥ることもなく、この身を守り通してこれた。なあ、同門の皆よ。 【解説】これは毛詩=詩経の小雅小旻篇にある。 4(188) 曾子有疾孟敬子問之…
○ 【書き下し】曽子疾有り、孟敬子之を問う、曽子言って曰く、鳥の將に死なんとするときは、其の鳴くこと哀し、人の將に死なんとするときは、其の言うこと善し、 【訳】曽子の重い病気に際し、孟敬子がその様子を伺いに来た。曽子が自ら言った。鳥は死期が近づくと鳴き声が哀しくなる。人は死期が近づくと、生気が薄れ、欲がなくなり、言うことが善人のようになる。 【解説】孟敬子は魯の大夫孟孫氏、名は捷、敬はその諡、孟武伯の子。これは曽子の謙遜の言葉で、これから話すことを忘れないで欲しいと願ってのことである。 【書き下し】君子、道に貴ぶ所の者三つ、 【訳】君子は、道にはとても大事なことが三つある。 【解説】君子は位にある人を云うが、これはその大夫という位にある敬子に対して告げる言葉である。 【書き下し】容貌を動かして、斯に暴慢に遠ざかり、顔色を正して、斯に信に近づき、辞気に出して、斯に鄙倍に遠ざかる、 【訳】容貌を動かしていつもより重々しく恭しくすれば、粗雑で欲しいままの振る舞いから遠ざかることができる。顔色を正しく整えるときは、外面と内面が一致して、信実に近づく。言葉を発するときは、卑俗な言い方や理に背くことから遠ざかり、必ず典雅順正にする。この三つは身を修める要であって政をする基本、学者が常に省察して、心がけるべきことである。 【解説】容貌は一身の形すべて。これを動かすと言えば鎮まるをも兼ねている。暴は粗雑なこと、慢は欲しいままにすること。顔色を正すとは嘘をつかないこと。辞は言葉、気は息遣い、鄙は卑俗なこと、倍は理に背くこと。 【書き下し】籩豆の事は、則ち有司、存す、 【訳】君子が重んじるのは上の三つであり、祭礼の細事などは、担当の役人に任せておけばよい。 【解説】籩豆は祭礼のときに供え物を盛る器。有司は役人。存すとは、つかさどり知ること。 5(189) 曾子曰以能問於不能…
○ 【書き下し】曽子の曰く、能を以って不能に問い、多を以って寡に問い、有れども無きが如く、実てれども虚しきが如く、犯せども而も校らざること、 【訳】曽子が言った。学問のためなら、自分より能力が下の者にも質問し、知識が多くても自分より知識が少ない人にも質問する。道を求める姿勢は、知識が有っても無いのと同様に捉え、充実していてもまだ足りなくて空虚だとし、自分が理不尽に犯されても心を動かさない、 【解説】これは曽子が顔子の徳を述べたもの。能とは学力の至る所。 【書き下し】昔、吾友、嘗て斯に従事せり、 【訳】昔、わが友に、このように道に従事した人がいた。 【解説】顔子の死後に言ったもの。 6(190) 曾子曰可以託六尺之狐…
○ 【書き下し】曽子の曰く、以って六尺の孤を託く可く、以って百里の命を寄す可く、大節に臨んで奪う可からず、君子、人か、君子、人なり、 【訳】曽子が言った。ここに一人の臣がいる。其の才は先君卒する時、幼君をもりたてて、其の身を保ち、其の徳をなすことを以って、遺託せらるべきだ。諸侯にするべきだ。重大事変に臨んでも、死を以ってこれを守り、人に奪われ失わないようにする才徳がある。このような人物こそが君子なのだろうか。いや、君子なのだと断言できる。 【解説】ここでは大臣の才徳を論じる。六尺(約135cm)とは周礼十五歳の男子を云う。孤は父亡きの称。百里とは諸侯の大国を云う。大節は大難のこととも。 7(191) 曾子曰士不可以不弘毅…
○ 【書き下し】曽子の曰く、士、以って弘毅ならざるべからず、任重くして道遠し、仁以って己が任と為す、亦、重たからずや、死して後に已む、亦、遠からずや、 【訳】曽子が言った。士と称するのであれば、弘毅でなければいけない。士の任務は重く、往くところの道も遠い。仁を以って、自分の任務としなくてはいけない。なんと重いことか。それが死ぬまで続き、死んだ後にようやく解放される。この道はなんと遠いことか。 【解説】弘毅は、徳量ゆたかにひろく、節操が固く強いこと。 |
最終更新日:令和05年01月28日
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