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漢文として楽しむ論語 公冶長第五 1/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 1(93) 子謂公冶長…
○ 【書き下し】子公冶長を謂く、妻あわすべし、縲絏の中に在りと雖も、その罪に非として、以って其の子を之に妻あわす、 【訳】先生が弟子の公冶長について仰った。私の娘を彼の妻にしよう。かつて投獄されたと言っても、濡れ衣で罪はなかったのだから、彼を貶めることはないので、私の娘を彼の妻にしよう。 【解説】謂とは評論すること。公冶長は孔子の弟子、公冶は姓、長は名、一説に字は子長だと。公冶長の人ととなりは詳らかではないが、孔子は自分の娘を彼の妻にしようとしたのだから、その性行がよいことはわかる。縲は黒い縄、絏は繋ぐこと。古は罪人を牢獄に入れ、黒縄で縛って繋いだので、投獄されることを縲絏と云った。 【書き下し】子南容を謂く、邦道有るときは廃れじ、邦道無きときは刑戮に免れんとして、以って其の兄の子を之に妻あわす、 【訳】先生が弟子の南容について仰った。彼は常に言行を慎むので、道が行われて治まるときは必ず用いられ、道が行われず乱れたときでも刑罰や辱めといった禍いを免れる術をわかっているので、私は自分の兄の娘を彼の妻にした。 【解説】これは南容を評すもの。南容も孔子の弟子で、南宮氏を略して南と云い、卒して敬叔と諡した。孟懿子の兄。 2(94) 子謂子賤…
○ 【書き下し】子子賤を謂く、君子なるかな若き人、魯に君子無くば、斯れ焉んぞ斯れを取らん、 【訳】先生が弟子の子賤について仰った。こういう人こそが君子だ。仮に魯国に多くの君子がいなければ、彼もこうはならなかったことだろう。 【解説】子賤は孔子の弟子、姓は 3(95) 子貢問曰賜也何如…
○ 【書き下し】子貢問いて曰く、賜は何如、子の曰く、女は器ものなり、曰く、何の器ぞ、曰く、瑚lなり、 【訳】子貢が質問して言った。私、賜は如何でしょうか。先生が仰った。君は器ものだ。子貢が言った。何の器ですか。先生が仰った。宗廟の祭で種々の飯を盛る瑚lだ。 【解説】孔子が子賤を評したのを受けて、それなら自分はと、子貢が質問した。器とは、その才能成りて用をなす者をいう。しかしその用途は限定されているので、君子は器ならず、其の徳を旨とするのである。子貢は達才ではあるが、其の徳が未だ足りないので君子とは認めて貰えなかったのだ。しかし瑚lは貴重で華美な器である。子貢の才能は郷大夫として政に従い、また言語文章にも優れたものがある。これは未だ君子とは言えないが、器の中の貴くして見事な者なので、このように述べたのだ。 4(96) 或曰雍也而不佞
○ 【書き下し】或る人の曰く、雍は仁あって佞ならず、 【訳】ある人が言った。雍は仁の徳が厚いけど、口下手だ。 【解説】雍は孔子の弟子、姓は冉、名は雍、字は仲弓。佞は、口が上手い、話すのが上手い、といった意。雍の人となりは、重厚にして軽薄ではなく、寡黙で言葉少ない。しかしこの頃の人々は、口先が上手いことを以って賢としていたので、雍はその徳が豊かだが、才能が時代に合わないことを惜しんで、このような評した。 【書き下し】子の曰く、焉んぞ佞を用いん、人に禦るに口給を以ってして、屡人に憎まる、その仁を知らず、焉んぞ佞を用いん、 【訳】先生が仰った。口が上手くて何になるというのか。口先だけで人をあしらい、心に誠がなければ、しばしば憎まれるだけだ。雍が仁かどうかは別として、口が上手くても何になるというのか。 【解説】禦とは、あしらうこと。口給は弁舌をいう。 5(97) 子使漆雕開仕…
○ 【書き下し】子漆雕開をして仕え使む、対えて曰く、吾れ斯れを未だ信じること能わず、子説ぶ、 【訳】先生は漆雕開を仕官させようとした。すると開はこう言った。私はまだ道をきちんと理解している自信がないので、人を治める資格はない。先生はこれを聞いて、仕官よりも学問を優先する開の姿勢をとても悦んだ。 【解説】漆雕開は孔子の弟子、漆雕は姓、開は名。字は子若。斯は道理を指して云う。 6(98) 子曰道不行…
○ 【書き下し】子の曰く、道行われず、桴に乗って海に浮かば、我に従わん者は其れ由か、 【訳】先生が仰った。桴に乗って海に浮かび、どこか遠くにでも行きたいものだが、私に従ってついて来るのは、由くらいのものかな。 【解説】由は子路の名。孔子は天下に賢者なく、道が行われないことを嘆き、このように言った。 【書き下し】子路これを聞いて喜ぶ、子の曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり、取り材る所無し、 【訳】子路はこれを聞いて素直に喜んだ。先生が仰った。由は私よりもずっと勇気がある。しかしそんなことが本当に可能かどうかを考えないのは、思慮が足りない。 【解説】材は裁と同じ。聖人は世を捨てることはないし、桴は海を渡るべきものでもない。明らかに冗談で言っているに過ぎないのだが、それでも子路はただ自分と共にしたいという孔子の言葉を聞くままに喜んだ。よって孔子は、勇気は私よりあるが、本心でそう言っているのか否かを見抜く力がない、と、戒めたのだ。 7(99) 孟武伯問…
○ 【書き下し】孟武伯問う、子路は仁ありや、子の曰く、知らず、 【訳】孟武伯が質問した。子路には仁者ですか。先生が仰った。私は知らない。 【解説】子路は全く仁がないわけではないが、その仁だとする言行が日に一度だったり、月に一度だったりで、安定しない。したがって、仁不仁を計りかねず、知らないと答えたのだ。 【書き下し】又問う、子の曰く、由は千乗之国、その賦を治め使めつ可し、其の仁を知らず、 【訳】再度質問した。先生が仰った。由=子路は大国の軍隊を統治する能力はある。しかしそれとこれとは別。仁者であるか否かはわからない。 【解説】賦はそもそも田地にかける税のことだった。古は田賦を以って兵を出したので、兵を賦と言うようになり、さらには軍隊全体をも賦と言うようになった。 【書き下し】求は如何、子の曰く、求は千室の邑、百乗の家、之が宰たら使めつ可し、其の仁を知らず、 【訳】求はどうですか。先生が仰った。求は大きな村の奉行か大きな家の執事になればその能力を発揮するだろう。しかし仁者であるか否かはわからない。 【解説】武伯は次いで求=冉有の仁を質問した。千室之邑は家が千軒程の大邑=大きな村。百乗之家は郷大夫領地を持ち、兵車百両を出すほどの大家。宰とは邑の奉行、家の執事などのこと。宰たる能力は、よく政を治め、事を行い、家を富ませ、民を豊かにするといったこと。 【書き下し】赤は如何、子の曰く、赤は束帯して朝に立ちて賓客ともの言わ使めつ可し、其の仁を知らず、 【訳】赤はどうですか。先生が仰った。赤は賓客がある時に、束帯して朝廷に立ちて、其の接待役をさせればその能力を発揮するだろう。しかし仁者であるか否かはわからない。 【解説】赤も孔子の弟子、姓は公西、名は赤、字は子華。賓とは隣国より来朝する諸侯のこと。大夫の来聘者を客という。 |
最終更新日:令和05年01月28日
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