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漢文として楽しむ論語 子路第十三 5/5トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 23(325) 子曰君子和而不同…
○ 【書き下し】子の曰く、君子は和して同せず、小人は同じて和せず、 【訳】先生が仰った。人と交わるとき、君子は道理から外れないように義を重んじた上で親睦を図るが、決して私利私欲による悦びやおもねりを以ってすることはない。小人は人と交わるとき、私利私欲による悦びやおもねりを以って近づき、道理や義を蔑ろにする。 【解説】これも有名な言葉である。しかし、和に「か」とルビを振り、「わ」と読まないことに違和感を覚える場合もあるだろう。、「わ」としないのは、当サイトが参考にしている江戸時代の本では「か」としているからだ。江戸時代は漢籍を読むに当たっては漢音至上主義なところがあり、和は「か」と読まれることが多かった。漢音が漢字の正しい発音、呉音は呉の地方の方言だからである。日本にはおそらく三国時代に、漢字が呉音と共にまず入ってきて、後に漢音も入ってきた。通常は呉音と漢音のうちの発音しやすい方で読むことが多く、どっちでもあまり気にはしなかった。それが江戸時代に漢文研究が盛んに行われると、やがて漢音至上主義の傾向が出てきた。しかし明治維新で西洋文明が入ってくると、また漢字の音などどうでもよくなり、漢文研究者の意見は無視され、世俗的な呉音で漢籍を読むようになり、現代に至るのだ。ちなみに論語も江戸時代の漢学者は、語は呉音で「ご」、漢音で「ぎょ」だから、「ろんぎょ」と読むのが正しい、としていた。当サイトでは、なるべく漢音で読むことにしているが、あまりに違和感が強いものについては現代の慣例に従って呉音で読んでいる。 24(326) 子貢問曰郷人皆好之何如…
○ 【書き下し】子貢問いて曰く、郷人皆之を好むは如何、子の曰く未だ可ならず、郷人皆之を悪むは如何、子の曰く、未だ可ならず、 【訳】子貢が質問して言った。その土地の人たち皆に好かれる人は、よい人でしょうか。先生が仰った。必ずしもそうとは言えない。その土地の人たち皆が憎む人は悪い人でしょうか。先生が仰った。必ずしもそうとは言えない。 【解説】子貢は人の資質を判断する方法がよくわからず、その地域の多数意見で決めることの是非を質問した。 【書き下し】郷人の善なる者之を好み、其の不善なる者之を悪むに如かず、 【訳】その土地の善人に好まれ、不善な者からは憎まれるほうがよい。 【解説】これは民主主義の根幹を揺るがす問題でもある。善人が多ければ、選挙では善人に好まれる人が当選するが、不善な人が多ければ選挙でも不善な人に好まれる人が当選してしまう。現代日本の選挙で当選している人は、善人に選ばれたのか、はたまた不善な人に選ばれたのか。民主主義は善人も不善な人も同じ権利を与えられているわけだが、悪貨は良貨を駆逐するという諺があるように、善と悪を対等に戦わせれば悪が勝つのが世の常なのだ。 25(327) 子曰君子易事而難説也…
○ 【書き下し】子の曰く、君子は事え易うして説こばしめ難し、之を説こばしむるに道を以ってせざれば説こばず、其の人を使うに及んでは、之を器もののままにす、 【訳】先生が仰った。君子は思いやりがあって心が広いので時には自己犠牲も視野に入れなければいけない公のために仕えるのは容易いが、悦ばせることは難しい。悦ばせるには、何事も道理に叶っていないといけないので、なかなか悦ばない。人を使うときはその人の才能にしたがって用いて、無理はさせない。 【解説】器とは、人の才能のこと。何をするのに適しているかは人それぞれ異なる。それを見極めて適材適所に人材を起用するのが君子なのだ。 【書き下し】小人は事え難くして説こばしめ易し、之を説こばしむるに道を以ってせずと雖も説ぶ、其の人を使うに及んで備わらんことを求む、 【訳】小人は何事も私利私欲で考えるので時には自己犠牲も視野に入れなければならない公のために仕えるのは難しいが、悦ばせることは容易い。悦ばせるには、道理に叶っていないことでも自分さえよければ悦ぶ。人を使うときはその人の才能等は気にせず、できないことでも無理してするように求める。 【解説】小人が上に立てば、下の者が苦しむということだが、昨今のいわゆるブラック企業は、雇用主が小人だからなのか。民主主義は小人が小人のまま法に触れない限り自由気ままに何をやっても構わないというシステムだから、仕方ないのかもしれないが。 26(328) 子曰君子泰而不驕…
○ 【書き下し】子の曰く、君子は泰かにして驕らず、小人は驕って泰かならず、 【訳】先生が仰った。君子は心裕かにして驕ることがない。小人は驕ることばかりで、心裕かにはならない。 【解説】君子の心はただ理性にしたがっているので、仰いで天に愧じず、俯しても人に怍じず、後ろめたいところがまったくない。それ故、常に心穏やかで裕にしていられる。小人はただ私欲を逞しくして、自分の富貴才力が人より優ることを悦び、劣ることを妬む。それ故に心は昂ぶり驕るのだ。 27(329) 子曰剛毅朴訥近仁
○ 【書き下し】子の曰く、剛毅朴訥は仁に近し、 【訳】先生が仰った。意志が強く、忍耐があり、素直で口数が少なければ、仁を求める道は近い。 【解説】剛は意志が強いこと、毅は堅くしてよく事に耐え忍ぶこと、木は上に成長する様子から素直なこと、訥は口数が少ないこと。 28(330) 子路問曰何如斯可謂之士矣…
○ 【書き下し】子路、問いて曰く、如何なるか斯れ、之を士と謂う可きか、子の曰く、切切偲偲、怡怡如たるを士と謂いつ可し、朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡、 【訳】子路が質問して言った。士とはどういう人のことなのでしょうか。先生が仰った。情がって善道を求める者同士励まし合い、常に笑顔でいることが士の要件だ。朋友とは情を以って励まし合い、兄弟とは仲良く笑顔でいることだ。 【解説】子路第十三20の子貢の質問と同じだが、答えの趣きは異なる。その人の理解力に合わせて、変えているのだ。切切は情意の誠があって懇ろなこと。偲偲は励まし合うこと。怡怡は悦ばしい様子、 29(331) 子曰善人教民七年…
○ 【書き下し】子の曰く、善人民を教えること七年、亦以って戎に即く可し、 【訳】先生が仰った。善人が民を教えて七年に及ぶ頃には戦争もできるようになる。 【解説】善人が民に、孝弟忠信と共に、より効率的な農業と武術を教えれば、やがて民はみな君長の徳を信じ、恩を感じることが深くなるので、七年も経てば、事ある時は死を顧みず、これに赴くようになるので、戦争もできるようになる、ということ。 30(332) 子曰以不教民戰…
○ 【書き下し】子の曰く、教えざる民を以って戦わしむ、是れ之を棄つと謂う、 【訳】何も教えない民を用いて兵として戦争をすれば、勝てるわけがなく、民は空しく死ぬだけで、これは民を棄てることだ。 【解説】民を教えるか、教えないかで、戦争も勝てるか負けるかが決まる。何事においても教えることは重要だ、ということ。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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