Tweet |
漢文として楽しむ論語 憲問第十四 4/5トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 27(359) 子曰不在其位…
○ 【書き下し】子の曰く、其の位に在らざれば、其の政を謀らず、 【解説】泰伯第八14と同文。 28(360) 曾子曰君子思不出其位
○ 【書き下し】曽子の曰く、君子は思うこと其の位を出でず、 【訳】曽子が言った。君子は与えられたことを精一杯やるために、それ以外のことは考えない。 【解説】これは易六十四卦の艮為山の卦の形を説明する文章=象伝として、孔子が書いたものとほぼ同一。 29(361) 子曰君子恥其言而過其行
○
【書き下し】子の曰く、君子は其の言を恥じて其の行いを過ごす、 【訳】先生が仰った。君子は言い過ぎることを恥じて、敢えて言いたいことのすべてを尽くさず、行動は及ばないことを憂いて、過ごして余りあるようにする。 【解説】言うことは控え目に、行いは積極的に、ということ。 30(362) 子曰君子道者三…
○ 【書き下し】子の曰く、君子の道という者は三つ、我れ能くすること無し、仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず、子貢の曰く、夫子自ら道えるなり、 【訳】先生が仰った。君子の道には三つことがある。私はどれもよくできないが。仁者は道徳を以って私欲に勝つので、どんな窮難に居てもこれを憂えない。知者は道理を熟知しているので、どんな変化にも惑わされない。勇者はその気力で道義をたすけるにで、大事に臨んでもこれを懼れい。子貢が言った。先生が自らそう仰ってもご謙遜にしか思えません。 【解説】この文中の仁者〜知者〜勇者〜は、子罕第九28に、順番違いで出てきたもの。 31(363) 子貢方人…
○ 【書き下し】子貢、人を方ぶ、子の曰く、賜は賢なるか、夫れ我は則ち暇あらず、 【訳】子貢が人の品定めをしていた。先生が仰った。賜=子貢はいつの間にか人を品定めできるような賢になったのか、私にはそんなことをしている暇はないが。 【解説】「たくらぶ」は、比較すること。実は孔子も、いろいろな人を品定めしていて、品定めしてこそ善悪の判断ができるようになるものなのだが、子貢は自分を棚に上げ、人を品定めすることばかりを悦びとしていたから、戒めたのだ。 32(364) 子曰不患人之不己知…
○ 【書き下し】子の曰く、人の己を知らざることを患えず、其の能わざることを患う、 【訳】先生が仰った。自分の名が人に知られないことを患い嘆くことはしない。知られるほどの能力がないことを患い嘆く。 【解説】文章には多少の違いはあるが、学而第一16、里仁第四14と内容的には同じこと。 33(365) 子曰不逆詐…
○ 【書き下し】子の曰く、詐り逆えず、不信を億んばからず、抑そも亦た先ず覚るは是れ賢か、 【訳】先生が仰った。人が自分を騙そうとしているかを疑わず、自分は人から疑われ信じてもらえないのではないかと不安になることもなく、自然体で接しているだけで誠か偽りかに気付くことが、賢というものだろう。 【解説】身構えて接すれば誠か偽りか気付くこともあるが、それはたまたまでしかない。まして無学で愚かな小人であれば、どんなに身構えても何も気付けないものだ。 34(366) 微生畝…
○ 【書き下し】微生畝、孔子に謂って曰く、丘、何ん為れぞ是れ栖栖たる者なるや、乃ち佞を為ること無き、孔子の曰く、敢えて佞を為んとに非ず、固ななるを疾んでなり、 【訳】微生畝が孔子に上から目線で呼びかけて言った。丘よ、なんでそんなにあっちこっちへ行くのだ。口先だけで人を悦ばせて歩きまわってるんだろ。孔子が仰った。口先だけで悦ばせようとしているわけではありません。偏屈な老人のように、ひとつのことに固執したくないのです。 【解説】微生は姓、畝は名、孔子より年長とのことだが詳細は不明。丘は孔子の名。孔子の名を呼びかけて話すのは、年長者だとしても甚だ驕った態度である。栖栖は、落ち着きがなく動き回っている様子。佞は口先だけで人を悦ばせること。微生畝は、孔子の道が行われないことを知りながら、皮肉ったのだ。 35(367) 子曰驥不稱其力…
○ 【書き下し】子の曰く、驥は其の力を称せず、其の徳を称す。 【訳】先生が仰った。善い馬とは、その力の強さを称えるのではなく、よく調教されていて安心して乗れることを称えるのだ。 【解説】驥は善馬の名。徳とは、よく人を乗せるのに慣れて、暴れたりしないことを云う。 36(368) 或曰以コ報怨何如…
○ 【書き下し】或る人の曰く、徳を以って怨みに報いるは 如何、子の曰く、何を以ってか徳に報いん、直を以って怨みに報い、徳を以って徳に報いん、 【訳】或る人が言った。怨んでいる人に、恩恵を与えることで報いる、ということがありますが、これはいかがなものでしょうか。先生が仰った。怨んでいる人には、至公にして私利私欲のない公平な道すなわち直をもって報いるべきだ。恩恵は、恩恵をもたらした人にこそ与えるべきものだ。 【解説】ここでの徳は恩恵のこと。以徳報怨は『老子』にある言葉。 37(369) 子曰莫我知也夫…
○ 【書き下し】子の曰く、我れ知ること莫いかな、子貢の曰く、何ん為れぞ其れ子を知ること莫き、子の曰く、天をも怨みず、人をも尤めず、下学して上達す、我を知る者は其れ天か、 【訳】先生が仰った。私を知る者はいないようだな。子貢が言った。なんで先生が世に知られないなんてことがありましょう。先生が仰った。時の巡り合わせが悪いからだとして天を怨むこともなく、人と合わなくても人を咎めず、自らを修め、低いところから一段ずつ学び、こうして高いところまで上ってきた。私を知る者は天だけか。 【解説】孔子は自ら嘆きを以って、このように言ったのだ。自分が理想とした道が理解されないもどかしさが込められている。 38(370) 公伯寮愬子路於季孫…
○ 【書き下し】公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯、以って告げて曰く、夫子、固に、志、公伯寮に惑える有り、吾が力なお能く諸を市朝に肆せん、 【訳】公伯寮が子路の讒言を魯の実権を握る家老の季孫氏に訴えた。子服景伯はその寮の讒言を知って孔子に告げた。季孫氏は寮の訴えに惑える志がある、私の力でならば、子路の無実を明らかにして、寮を誅してその屍を晒せるが、いかがでしょうか。 【解説】公伯寮は魯の人。子服は氏、名は何、景伯は諡と字、魯の大夫、孔子から学問を受けた。ここでの夫子は季孫を指す。肆は人を刑してその屍を晒すこと。大夫は朝=朝廷に肆し、士庶は市に肆す。市朝とは、これを連ねて云ったもの。 【書き下し】子の曰く、道の将に行われんとするも命なり、道の将に廃れんとするも命なり、公伯寮、其れ命を如何、 【訳】道が行われるのも天命、道が廃れるのも天命。たかが公伯寮に天命を動かすことができようか。 【解説】景伯の憤りを解き、子路の心を安んじたのだ。そもそも命は聖人が義を以って制するもの、伯寮の奸計如きで命が動くわけがない。 |
最終更新日:令和02年10月21日
学易有丘会
Copyright Heisei12th〜Reiwa2nd(2660〜2680)
(C)2000〜2020
GakuEki-UQkai